閉店後、人妻パートの白い靴下に触れた|第14話「夫が差し出した白い靴下」

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約束の時間より、二十分も早く着いてしまった。

駅から少し離れたファミリーレストラン。

香織さんの夫が指定したのは、店の一番奥にある窓際の席だった。

夫はすでに座っていた。

昨日と同じ黒いシャツではなく、濃紺のジャケットを着ている。

テーブルの上には、手をつけていないコーヒーが一杯。

その隣に、小さな白い布袋が置かれていた。

「こんばんは、悠真君」

夫は立ち上がらず、向かいの席を手で示した。

「座ってくれ」

「失礼します」

椅子を引く音が、やけに大きく聞こえた。

店内には家族連れや仕事帰りの客がいる。

明るい照明の下で向き合っているのに、誰にも助けを求められない場所だった。

「香織さんは」

「家にいるよ」

夫は静かに答えた。

「今日は仕事を休ませた。君と顔を合わせれば、また話を合わせようとするかもしれないからね」

「体調は大丈夫なんですか」

「妻の心配をする前に、自分の心配をした方がいいんじゃないか」

責める口調ではなかった。

それだけに、返す言葉が見つからない。

夫はコーヒーカップへ触れず、俺の顔を見つめた。

「昨夜のメッセージにも書いたが、君たちの過去のやり取りは読んでいない」

「どうしてですか」

「読む前に、君の口から聞きたかった」

夫の右手が、白い布袋の上へ置かれる。

「香織とは、いつからだ?」

何をもって始まりとするのか分からなかった。

初めて閉店後に二人きりで話した夜。

初めて白い靴下に触れた夜。

それとも、夫のいない家で朝を迎えた昨日。

「答えられません」

「覚えていないのか」

「どこからが裏切りだったのか、俺にも分からないんです」

夫の眉がわずかに動いた。

「裏切りだったとは思っているんだね」

「ご主人にとっては、そうだと思います」

「君にとっては違うのか?」

俺は膝の上で両手を握った。

「香織さんを好きになったことまで、間違いだったとは思えません」

夫はしばらく黙っていた。

店員が水を置き、注文を尋ねる。

俺は何も考えられないまま、夫と同じコーヒーを頼んだ。

店員が離れると、夫は白い布袋の紐をほどいた。

中から取り出したものを、テーブルの中央へ静かに置く。

白いリブソックスだった。

左右二枚の靴下が、きれいに重ねられている。

足首までの細い縦模様。

見間違えるはずがなかった。

昨日まで香織さんが履き続けていた白い靴下。

俺の手の中で温まり、夫の車へ乗り込むまで彼女の両足を包んでいたもの。

今はもう冷たく、夫と俺の間に置かれている。

「これを知っているか」

喉が乾いた。

「昨日、香織さんが履いていたものですよね」

「それだけか?」

夫の指先が、重ねられた靴下の端へ触れる。

「君は、これに触れたのか」

否定することはできた。

けれど、これ以上嘘を重ねても、何も守れない気がした。

「はい」

自分の声が、遠く聞こえた。

夫の指が止まる。

「どこで?」

「店の休憩室です」

「昨日だけか?」

「いいえ」

夫の表情は変わらない。

けれど、白い靴下を押さえる指先だけが少し強くなった。

「妻の足に触れたのか」

「白い靴下の上からです」

「そんな違いに意味があると思っているのか?」

「思っていません」

「では、なぜわざわざ靴下の上からだと言った?」

答えられなかった。

裸足ではなかったことが、俺にとっては大きな意味を持っていた。

けれど、それを夫へ説明する言葉などあるはずがない。

「昨夜、家へ着いても、香織はこれを脱ごうとしなかった」

夫は白い靴下から目を離さずに言った。

「玄関でローファーを脱いだあと、そのままリビングへ入った。洗濯するから脱ぐように言っても、しばらく両足を隠していたよ」

香織さんが、白い靴下の両足をソファの下へ引く姿が浮かんだ。

俺の手の感触を残しておきたかったのだろうか。

そう思っただけで、夫の前にいることを忘れそうになる。

「君に触れられたから、脱ぎたくなかったのか?」

夫の問いに、俺は視線を落とした。

「分かりません」

「君たちにとって、この靴下は何なんだ」

白い生地の細い縦模様が、照明の下でくっきり見える。

「香織さんが、自分で選んだものです」

「靴下くらい、誰だって自分で選ぶだろう」

「そういう意味じゃありません」

言ってはいけないと思った。

けれど、もう嘘をつかないと決めたはずだった。

「俺に見せるために選んだと、香織さんが言いました」

夫の顔から、わずかに血の気が引いた。

「本人が、そう言ったのか」

「はい」

夫は初めて俺から目をそらした。

怒鳴られるより、その沈黙の方が苦しかった。

夫は重ねられた白い靴下を見下ろした。

「香織は、以前は白い靴下ばかり履く女ではなかった」

俺は顔を上げた。

「最近、金曜日になると決まって白い靴下を選ぶようになった。新しいものまで何足も買っていたよ」

知らなかった。

俺が店へ入る金曜日に合わせ、香織さんは家で靴下を選んでいた。

その姿を、夫も見ていたのだ。

「妻が若返ったようで、私は嬉しかった」

夫が自嘲するように笑う。

「まさか、その理由が自分ではないとは思わなかった」

胸の奥が痛んだ。

夫の言葉に傷つく資格など、俺にはない。

「ご主人は、俺にどうしてほしいんですか」

「香織と二度と会わないでほしい」

迷いのない答えだった。

「同じ店で働いています」

「どちらかが辞めればいい」

「香織さんに仕事を辞めさせるんですか」

「君が辞めても構わない」

言葉の一つ一つが、逃げ道を閉ざしていく。

「約束はできません」

俺が答えると、夫は初めて険しい表情を見せた。

「君には、私たちの家庭を壊してまで妻を幸せにできるのか?」

「分かりません」

「分からないのに、手放せないと言うのか」

「香織さんを、物みたいに手放すとか受け取るとか、俺には決められません」

夫の目を見た。

「決めるのは香織さんです」

夫は何も言わなかった。

テーブルへ運ばれた俺のコーヒーから、湯気が立っている。

夫のカップは、もう冷めていた。

「同じことを、昨夜香織にも言われたよ」

低い声だった。

「私はあなたの持ち物ではない、と」

胸が大きく鳴った。

香織さんは夫の前で、そこまで言ったのだ。

「ただし、妻は君を選ぶとも言わなかった」

夫は白い靴下を布袋へ戻した。

「泣きながら、何も決められないと言った」

細い紐が締められ、白い生地が見えなくなる。

「だから今夜、君にも同じことを聞きたかった」

「同じこと?」

「何も失わずに、この関係だけを続けたいのか。それとも、失う覚悟があるのか」

俺は答えられなかった。

香織さんを求める気持ちは本物だった。

けれど、彼女の家庭も仕事も壊した先に、何が残るのかは分からない。

夫は白い布袋を手に取り、席を立とうとした。

そのとき、テーブルの上の俺のスマートフォンが震えた。

画面に表示された名前を見て、息が止まる。

香織さん。

夫にも、その名前が見えていた。

昨夜預けたスマートフォンは、もう香織さんへ返されている。

着信は止まらない。

夫は再び椅子へ腰を下ろした。

「出ていいよ」

「でも」

「私の前で出なさい」

夫の手には、白い靴下の入った布袋が握られている。

俺は震える指で通話ボタンへ触れた。

「もしもし」

しばらく、何も聞こえなかった。

やがて、押し殺した香織さんの声が耳へ届く。

「悠真君……そこに、夫もいるの?」

俺が答えるより先に、夫が口を開いた。

「いるよ、香織」

電話の向こうで、香織さんが息をのんだ。


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※本作品はフィクションです。登場人物はすべて20歳以上です。

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