閉店後、人妻パートの白い靴下に触れた|第13話「夫が連れ帰った白い靴下」

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「どちらが本当なんだ?」

香織さんの夫は、静かな声でもう一度尋ねた。

総菜売り場の冷蔵ケースから、低い機械音が響いている。

すぐ近くを客が通り過ぎていくのに、俺たち三人の周囲だけ時間が止まったようだった。

「両方よ」

先に答えたのは香織さんだった。

「名札もエプロンも店に忘れていたの。袋に一緒に入っていたから、私が名札、悠真君がエプロンって答えただけ」

夫が俺を見る。

「そうなのかい?」

否定すれば、その場で嘘が終わる。

「はい。俺の説明が足りませんでした」

「なるほど」

夫は納得したようにうなずいた。

けれど、その目から疑いは消えていなかった。

「それなら、もう一つだけ教えてくれるかな」

「何でしょう」

「昨夜、君が家を出たのは何時ごろだった?」

また答えを合わせていない質問だった。

香織さんを見ることはできない。

俺は昨夜の記憶をたどる。

夫から予定変更のメッセージが届いたのは、午前三時を少し過ぎたころ。

俺が香織さんの家を出たのは、午前六時前。

本当の時刻を言えるはずがなかった。

「十一時ごろです」

俺はそう答えた。

夫は香織さんへ顔を向ける。

「香織は、日付が変わってから来たと言っていたよ」

胸の奥が大きく沈んだ。

「私の勘違いよ」

香織さんがすぐに言う。

「眠くて、時計をよく見ていなかったから」

「そうか」

夫の声は変わらない。

「では、朝まで流しにあったマグカップが、まだ温かかったのはなぜだろう」

香織さんの唇がわずかに開いた。

「あなたが帰る前に、私が洗ったからよ」

「昨日の朝から置いたままだったと言わなかったか?」

「それは……」

香織さんの言葉が止まる。

夫は大きなため息もつかなかった。

ただ、俺たちの顔を交互に見た。

「忘れ物が名札だったのか、エプロンだったのか。それはもう、どちらでもいいんだ」

穏やかな声が、かえって胸へ重く響く。

「知りたいのは、なぜ二人が私に違う嘘をつくのかということだよ」

「嘘ではありません」

俺が答えると、夫の視線が鋭くなった。

「では、君は朝まで私の家にいなかったと断言できるのか?」

言葉が出なかった。

沈黙が、答えになってしまう。

「悠真君は悪くないの」

香織さんが俺の前へ出た。

「私が家へ上がってほしいとお願いしたの。私が引き止めたのよ」

「香織さん」

「私のせいだから」

夫は香織さんを見つめた。

「朝までいたと認めるんだね」

「話をしていただけよ」

「その白い靴下は、今朝履いたばかりだと言っていたね」

俺も香織さんも、動けなかった。

夫の視線が、香織さんの足元へ落ちる。

黒いローファーの履き口から、白いリブソックスがのぞいていた。

「どうして、今それを」

香織さんの声が震える。

「さっき通路で、悠真君が『その靴下、替えていないんですか』と聞くのが聞こえたんだ」

夫は淡々と答えた。

「今朝履いた靴下なら、なぜ彼は替えていないことを知っている?」

「昨日の仕事中にも、同じ靴下を見ていたからです」

俺は苦し紛れに答えた。

「白い靴下なんて、どれも似ているでしょう。俺が同じものだと勘違いしただけです」

「それなら、なぜ香織は『替えられなかった』と答えたんだ?」

夫は通路での会話を、そこまで聞いていた。

もう、ごまかせる言葉が見つからない。

香織さんの右足が左足の後ろへ隠れる。

白い靴下を見られまいとしているようだった。

「その靴下に、何か特別な意味があるのか?」

「ありません」

香織さんが答える。

「では、なぜ隠す?」

「怖いからよ。あなたが、何もかも疑って見るから」

「疑う理由を作ったのは、私ではないよ」

夫の言葉に、香織さんは何も返せなかった。

夫がどこまで分かっているのか、俺には判断できなかった。

本当に見抜いているのか。

それとも、俺たちの反応を確かめるために言っているだけなのか。

「ご主人、香織さんを責めないでください」

俺は夫をまっすぐ見た。

「俺が帰らなかったんです」

「それは、妻と君の間に、私が責めるべきことがあると認めているのかな」

また言葉を失った。

何を答えても、自分で逃げ道を塞いでしまう。

夫は俺から視線を外し、香織さんへ右手を差し出した。

「スマートフォンを貸してくれるか」

「どうして」

「今は、君が彼と相談しないようにするためだよ」

「仕事中よ」

「仕事中なら、使わなくても困らないだろう」

香織さんはエプロンのポケットへ手を入れた。

取り出したスマートフォンを見つめ、すぐには渡そうとしない。

俺とのやり取りが残っている。

すべて削除してあるのか、俺には分からなかった。

「香織」

夫が名前を呼ぶ。

香織さんは観念したように画面のロックを解除し、その手の上へスマートフォンを置いた。

「今日は何時に終わる?」

「十時」

「分かった。外で待っているよ」

「帰っていて。私は一人で帰れるから」

「帰り道で、また誰かと話を合わせられては困る」

夫はそう言うと、総菜売り場から離れていった。

怒鳴り声も、脅す言葉もなかった。

けれど香織さんは、肩を小さく震わせたまま動けなかった。

「大丈夫ですか」

俺が近づこうとすると、彼女は首を横に振った。

「来ないで」

拒絶ではなかった。

これ以上、夫に見られるものを増やさないためだった。

「今は、私を見ないで」

香織さんはそう言い残し、売り場の奥へ戻った。

残りの勤務時間、俺たちは一度も言葉を交わさなかった。

香織さんは、何事もなかったように商品を並べ続けた。

けれど、トングを持つ指は何度も震え、値札を貼る位置も少しずつずれていた。

一度、手から落ちたパックを拾おうとして、俺たちの手が同時に伸びた。

指先が触れる寸前、香織さんは自分の手を引いた。

俺も動きを止める。

たったそれだけのことさえ、今は夫に見られている気がした。

夫は本当に、店の外で待っていた。

ガラス越しに見える駐車場の端へ、見覚えのある黒い車が止まっている。

休憩へ入るときも、商品を補充するときも、その車は動かなかった。

香織さんも、ときどき窓の外を見た。

そのたび、黒いローファーの両足が止まる。

履き口からのぞく白い靴下は、昨夜からずっと同じままだった。

夫に嘘をつくため履き続けた靴下が、今度は彼女を夫のもとへ連れ戻そうとしている。

午後十時。

閉店作業を終えた香織さんが、従業員出口へ向かった。

焦げ茶色のエプロンだけを外し、白いシャツと黒いスカートのまま。

足元には、白いリブソックスと黒いローファー。

俺は少し離れた通路から、その後ろ姿を見ていた。

夫が入口の外で待っている。

香織さんが扉の前で一度だけ立ち止まった。

振り返るかと思った。

けれど彼女は俺を見ず、そのまま外へ出た。

夫が車の助手席の扉を開ける。

香織さんは黙って乗り込んだ。

白い靴下の両足が車内へ消え、黒い扉が閉まる。

夫が連れ帰ったのは、自分の妻だけではない。

俺が昨夜触れた白い靴下も、その靴下に残した秘密も、すべてだった。

黒い車が駐車場を出ていく。

俺には、追いかけることも、メッセージを送ることもできなかった。

香織さんのスマートフォンは、夫が持っている。

その夜。

日付が変わっても眠れずにいると、机の上のスマートフォンが震えた。

画面に表示された名前は、香織さんだった。

反射的に手を伸ばす。

届いたメッセージを見て、指が止まった。

『先ほどは、店で失礼したね』

香織さんの言葉ではない。

続けて、二通目が届く。

『香織の夫です』

やはり、スマートフォンは夫の手にあった。

『妻との過去のやり取りは、まだ読んでいません』

その一文に安堵しかけた直後、最後のメッセージが表示された。

『悠真君。明日の夜、私と二人で話しませんか』

断るという選択肢があるようには思えなかった。


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※本作品はフィクションです。登場人物はすべて20歳以上です。

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